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2012.05.25(15:50)








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2012.05.25(15:48)









2012.05.25(15:47)









共生事業の隠された悪

2012.03.11(10:40)


日本国憲法の前文にある、『平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。』とする如何にも、左翼が喜びそうな文面が記載されている。
公正な国家が、地球上で日本国以外存在しているだろうか。
信義を持った国が、日本国以外存在しているだろうか。
この如何にも「お花畑」の憲法前文が、今の竹島を生み、北方領土を生み、拉致事件があり、シナのガス田開発や尖閣諸島の領有権主張に対し、日本国は何ら手立てが打てない状態が続いているのではないか。
話し合う優しさで他国と接し、国土を掠め取られている結果を生んでいる大きな要因が、この憲法前文にあるのです。
この事を、黙殺して行われているのが、今の『共生事業』ではないでしょうか。

国民の税金(現状での事業は、国民の目を欺く為に、国庫から支払われているのではなく、法人税での損金計上(損金算入限度額を適用)する事で事業運営資金を得ている。
この事業を自治体が協賛という形で、恰も正当な活動であるとする先入観を国民に植え付け、後方から支援しているのです。)で、国を滅ぼす事業を行い、国民の生命と財産を侵そうとしているのです。

このような段階を得る事で、国民に認知(一般市民が反対し辛い名称(市民、平和、平等、差別、人権、共、和、男女等)で、反対派意見を野蛮人の様に扱い、抹殺するのです。)させ、男女共同参画事業のように、直接国庫から支給させる事業に進化させていくのです。

この手法が、全ての左翼利権事業の手口となっているのです。


では、先ず共生事業について考えてみましょう。
 共生事業と言われてまず思い付くのは、多文化共生事業ではないでしょうか。

多文化共生とは、外国の文化を日本国民にすり込ませる事で、日本人「らしさ」(この、「らしさ」って何か気付きませんか?そう!あの男女共同参画事業の「らしさレス」です。)を奪い、国家意思家の軽薄化を目的とした事業なのです。
えっ!外国に文化を知ることっていけないのか?
って思う人がいるだろう。
確かに、外国の文化や風習を知る事は、見聞を広める上でも重要である。
沢山の知識を得る事で、沢山の選択肢が得られる。
誠に良いことである。

でも、この事業には大事なものが蔑ろにされている事に、皆さんは気付かないか。

そう、この事業には一番大事である筈の、日本の文化、伝統というものがないのである。
これで真の見聞が得られるのだろうか。
よく、左翼は国際人の育成がこれからは重要であるとしているが、では、国際人とは如何なる者の事をいうのか。
それは日本人として、国際社会に出た時に、日本にはどのような文化が有り、どのような習慣で生活をしているのかを世界に啓発できる人の事を言うのではないか。
今の共生事業では、何も語れない人間を世界に旅立たせる事となり、国が支援する事業として、果たして妥当なのであろうかと疑問に持つ者が誰もいない事の方が問題であり、それらの傾向を是正していく事の方が国家として重要ではないだろうか。
それが、国際社会で必要とされる真の国際人であると売国政府、官僚に言いたい。

この事業の持つ本当の狙いが、日本国の文化を軽薄にさせ、日本の文化伝承の破壊にあることに、国民は気付かなければならないということです。

多文化共生推進功労者表彰制度とかいう表彰制度を自治体が行っている事に疑問を抱こう。
国を破壊する活動に、自治体が表彰しているのである。
しかも、公金を支出して表彰しているのです。

何度も同じ様な事を記載しますが、左翼には、国家という概念が無く、国境なき世界の構築にあるのです。

ですから、日本国民の親とも言える天皇陛下を罪悪感もなく糾弾し、存在そのものの否定を行い。
国歌、日の丸を悪としているのです。









会沢 正志斎

2012.02.19(17:48)


会沢正志斎 アイザワ,セイシサイ 天明二-文久三(1782-1863) 水戸藩士。
郡奉行下属の小吏会沢市五郎の子。
通称は恒蔵、名は安、字は伯民、正志斎と号した。
幼くして学問のほまれ高く、寛政三年(1791)藤田幽谷の門に学んでその高弟となる。
寛政3年(1791年)、藤田幽谷の青藍舎へ入門する。享和元年(1801年)、20歳のときには国防問題に関する『千島異聞』を著す。
享和3年(1803年)に藩校の彰考館に入門。
文化4年(1807年)には徳川斉昭に近侍する。
文政8年(1825年)には遭難したイギリス船員と会見し、海外情報を聞き記した『新論』を表すが、内容が過激であるという理由で発禁処分となる。

文政10年(1827年)には幽谷が死去し、彰考館の総裁となる。
文政12年(1829年)、斉昭を水戸藩主に擁立する運動に参加し、斉昭から取り立てられた。
藤田東湖や武田耕雲斎らと共に藩政改革を補佐し、郡奉行などを歴任している。
天保11年(1840年)には弘道館の初代教授頭取に任じられ水戸学発展に貢献した。

弘化2年(1845年)、仏教界が政治に介入することを苦々しく思って斉昭に仏教徒を弾圧することを進言し、これが原因で斉昭は幕府から隠居を命じられる。
このとき、正志斎も蟄居を命じられた。
嘉永2年(1849年)に斉昭が復帰すると同時に復帰した。

安政5年(1858年)、幕府の条約締結に関して、朝廷から水戸藩に戊午の密勅が下る。
会沢は密勅返納を主張し、藩内の尊皇攘夷派と対立する。
斉昭が安政の大獄で永蟄居処分となると藩内は分裂し、正志斎はその両派の収拾に努めた。
文久2年(1862年)には一橋慶喜(徳川慶喜)に対して、開国論を説いた『時務策』を提出する。
82歳で死去。

正志斎は神道と水戸学を合わせて大義名分論を唱えた人物として有名であるが、彼は著作や尊皇攘夷運動を通じて長州藩の吉田松陰らに影響を与えた精神的指導者でもあった。

新論
http://www.1-em.net/sampo/sinron/sinron/

時務策

 国家厳制アリテ外国ノ往来ヲ拒絶シ給フハ、守国ノ要務ナルコト勿論ナレドモ、今日ニ至テハ、マタ古今時勢ノ変ヲ達観セザルコトヲ得ザルモノアリ。
東照宮ノ御時、西洋ノ邪教人心ニ大害アルコトヲ深察シ給ヒ、厳禁ヲ設ケ邪徒ヲ尽(ことごと)ク殺戮セラレシガ、其(その)根柢未(いま)ダ絶(たえ)ズシテ、寛永ノ変起ルニ及(および)テ外国ヲ拒絶シ給フコト、号令厳粛ニシテ今ニ至ルマデ国家ノ厳制タリ。
然(しかる)ニ近時、外夷シバシバ来テ通信ヲ請フ。
幕府ニテモ通信ノ事ニハ其弊ナシトセラルヽニモアルベカラザレドモ、時勢ヲ斟酌アリテ権宜(けんぎ)ノ道ヲ用(もちい)給ヒシナルベシ。
天下ヲ治(おさむ)ルニハ時ヲ知ルヲ要ス。
 東照宮ノ御時ハ、天下ノ勢強盛ニシテ外国ハ甚(はなはだしくは)張大ナラズ。
邪教ノ徒モ人心ヲ蠱惑(こわく)スルノミニシテ、未ダ叛逆ノ甚キニ至ラズ、故ニ外国ヲ尽(ことごと)ク拒絶スルニ至ラズ、其中ニモ通信セラレシ国々モアリシナリ。
島原ノ賊起リテハ、外国ヨリ来リ窺(うかが)フコト天下ノ大害ナルヲ洞察アリテ、東照宮ノ法制ヨリ一段防禁ヲ増加アリテ、通信ヲ絶チ外国ヲ尽ク拒絶シ給フ。
是(これ)時措(じそ)ノ宜(よろし)キヲ得テ変通ノ道ニ叶(かない)シナルベシ。
今時(こんじ)ノ如キハ、外国甚ダ張大ニシテ、万国尽ク合従(がっしょう)シテ皆同盟トナリ、譬(たとえ)バ春秋(しゅんじゅう)ノ時ニ、斉桓(せいかん)・晋文(しんぶん)盟主トナリ、諸侯ヲ合セテ好(よしみ)ヲ通ジ、若シ諸侯ノ中ニ会盟ニ与(あずか)ラザルモノアレバ、諸侯兵ヲ合セテ是(これ)ヲ伐ツ、是ニヨリテ一日モ孤立シテ国ヲ保ツコトアタハズ、今外国ノ勢モマタカクノ如シ。
是ト好ヲ結バザル時ハ、外国ヲ尽ク敵ニ引受テ、其間ニ孤立ハナリ難キ勢ナレバ、寛永ノ時トハ形勢一変シテ、今時外国ト通好ハ已(や)ムコトヲ得ザル勢ナルベシ。
サレドモ通好シテ外患ナキ時ハ、人心怠惰ヲ生ジ兵力弱ク外侮ヲ受テ、彼ガ心ノ儘ニイカナル事ヲ要求センモ測リ難シ。
富国強兵ノ政行レテ士気ヲ磨励シ、彼ヨリ和ヲ破ルコトアラバ、速(すみやか)ニ打破ルベシトノ気焔アラバ、彼ガ虚喝ヲ畏レズ、天下衰弱ニ至ラズシテ不虞ノ変ニ応ズベシ。
又通好スル時ハ邪教ノ入易(いりやす)キ患(うれい)アリ。
サレドモ寛永ノ時ハ、邪教ノ毒久(ひさし)ク人心ニ漸漬(ぜんし)シテ天下ニ滋蔓(じまん)シタレバ、是ヲ禁ジ難シ。
今ハ、邪教ノ邪ナルコトハ、天下ノ人不レ言(いわず)シテ是ヲ知ル。
寛永ニ比スレバ禁ジ易キ勢ナキニ非ズ。
邪教未ダ滋蔓セザルニ及デ、微(び)ヲ絶チ漸(ぜん)ヲ杜(ふさ)グコト、尤(もっとも)急務ナルベシ。
久ク持論スル所アレドモ今此(ここ)ニ贅(ぜい)セズ。
 血気ノ小壮ハ、大敵ヲ引受ナバ打破(うちやぶり)テ神州ノ武勇ヲ万国ニ輝サンナドヽモイフベケレドモ、兵法モ、彼ヲ知リ我ヲ知ルニ非レバ戦勝ヲ制シ難シ。
今外国ノ火器、近時ニ至テ益(ますます)巧(たくみ)ヲ極(きわめ)タレバ、短兵(たんぺい)長兵ヲ論ゼズ、勝敗ハ兵ヲ用ルモノヽ巧拙ニヨルベシ。
是(これ)武勇アリトイヘドモ必勝ヲ期シ難キ一ツナリ。
 神州ノ武勇ハ勿論ナレドモ、太平久ク、勇士モ往昔ヨリハ少ク、身体軟弱ニシテ肥甘軽煖(ひかんけいだん)ニ習ヒ、寒暑風雨ニ堪ヘズ、戦場ノ坐作進退ニ習ハズ、将帥(しょうすい)タルモノ多クハ世禄(せろく)ノ※(糸+丸)袴(がんこ)子弟ニシテ兵ヲ知ラズ、兵法ヲ論ズルモノハ陳跡(ちんせき)花法(かほう)ニ固滞シテ実用ニ疎ク、俄ニ戦場ニ臨(のぞみ)テハ、山村ノ民ヲシテ舟楫(しゅうしゅう)ヲ操(あやつ)ラシメンニ、船中ノ働キモナシ得ズシテ空(むなし)ク手ヲ束(つかぬ)ルガ如ク、倉皇失措(そうこうしっそ)スルノミナルベシ。
外国ハ鄙陋(ひろう)ノ蛮夷ナリトイヘドモ、百戦ノ実地ニ試(こころ)ミ、用兵ノ術ニ鍛練シ、火器精巧ニシテ数百歩ノ外ニ折衝ス。
我ニ奇計妙策ノヨク是ニ当ルモノ無(なか)ランニハ、是(これ)心ハ勇ナリトモ必勝ヲ期シ難キノ二ナリ。
 民命ハ聖天子ノ尤(もっとも)重(おもん)ジ給フ所ナリ。
然ルニ必勝ノ成算モナク、一旦憤激ノ故ヲ以テ民命ヲ一搏(いっぱく)ニ投ジ、元元(げんげん)ノ塗炭ヲ顧(かえりみ)ザルコトハ、宸衷(しんちゅう)ニ於テ忍バセ給ハザランカト、恐多クモ伏察シ奉ル也。
サレバ少壮推鋒(すいほう:摧鋒さいほうノ誤リカ)ノ徒、一己ノ私忿(しふん)ヲ以テ、臣下ノ身トシテ聖明ヲ要(よう)シ、且誣(しい)テ不仁ノ道ニ陥レ奉ランハ、其人ノ心ニモ自ラ畏縮スベキコトナラズヤ。
若シ一朝兵結ビ禍連(つらな)リテ解(とけ)ザル時ハ、兵ノ勝敗モトヨリ意外ニ出(いづ)ルコトニシテ、千古ノ覆轍モ少カラズ。
万一将帥誤テ喪敗スルコトモアランニ、其時ニ至テ、秦檜(しんかい)ノ如キ奸悪ニハアラズトモ、一時ノ敗ニ懲リテ和ヲ結(むすば)ントセバ、降(こう)ヲ請フガ如キ姿ニナリ、西洋ノ習ニテ軍費ノ償(しょう)ヲ責取ラレ、国力給シ難キコトモ料(はか)リ難ク、第一、神州ハ万国ヨリモ帝国ト号シテ古ヨリ尊(たっとば)レシヲ、後日ニ及デ万一尊号ニ瑕疵ヲ生ズル事ニモ至ラバ、国体ヲ辱(はずかしむ)ルコトコレヨリ甚シキハナカルベシ。
遠慮ナケレバ近憂アリトモ云ヘバ、深ク思ハザルベケンヤ。
 或(あるひと)ノ曰ク、将帥誤テ喪敗ストモ国ノ存亡モ論ズルニ足ラズ、決シテ和スルコトアルベカラズ。
 答テ曰ク、国ノ存亡ヲ謀(はか)ルハ上ニ在ル人ノ任ナリ。
下トシテハ、事ノ是非ヲバ論ズルトモ、謀猷(ぼうゆう)ヲ己(おの)ガママニ決スルコトアタハズ。
前文ノ意ハ、在位ノ人、若シ兵敗レテ和ヲ議セントスルニハ、カクノ如キ患アレバ、兵ヲ用(もちい)ンニモ初ヨリ後患ヲ慮(おもんぱかり)テ持重スベキコトヲ云(いえ)ルナリ。
喪敗セバ和ヲ請フベシト云ニハアラズ。
 或(あるひと)又曰ク、国家ノ法制ヲ失(うしない)テ和好ヲ通ズルハ神州ノ恥ナレバ、死ヲ以テ其制ヲ守ルベシ。
文永・弘安ノ如キモ、蒙古ノ使ヲ斬リ、天下必死ニ決シテ遂ニ是ヲ撃尽(げきじん)セリ。
宋ノ岳飛(がくひ)等ノ如キモ、心ヲ戦ニ決シ誓(ちかっ)テ金虜(きんりょ)ヲ破リ、国恥ヲ雪(きよ)メントス。
是等ノ大義ニ当テハ、万民トイヘドモ生ヲ捨テ死ヲ効(いた)スベシ、民命ヲ顧ルニ遑(いとま)アラズ。
答テ曰ク、外国ヲ一切ニ拒絶トイフコト、寛永ノ良法トイヘドモ、其本(もと)ハ天朝ノ制ニモ非ズ、又東照宮ノ法ニモ非ズ、寛永中ニ時宜ヲ謀(はかり)テ設給ヒシ法ナレバ、後世マデ動(うごか)スベカラザル大法トハイヘドモ、宇内(うだい)ノ大勢一変シタル上ハ、已ムコトヲ得ズシテ時ニ因テ弛張アランコト、一概ニ非ナリトモ云難シ。
此一事ノミヲ守ラントシテ、国ノ存亡ヲ論ゼズ、其他ヲ顧ズ、偏(ひとえ)ニ固ク執リ守ラント云ハ、一偏(いっぺん)ノ論ナルベシ。
文永ノ時ハ、蒙古、其(その)強大ニ誇テ来リ寇(こう)スルノミニシテ、深患アルニアラズ。
サレバ是ヲ一時ニ摧(くじき)テ足レリ。
宋ノ金虜ハ宋国ヲ併呑(へいどん)セント欲ス。南侵ノ勢ヲ止メザレバ、宋ノ地尽(つく)ルコト有(あり)テ遂ニ滅亡ニ至ルベシ。
死力ヲ出(いだ)シテコレヲ撃チ、驕虜ヲ懲(こら)シテ国恥ヲ雪(きよ)ムルハ、其(その)国家ヲシテ夷虜ノ患ヲ免(まぬか)レシメ、民命ヲ保全スルノ義ニ当ルナリ。
当今ノ勢ハ、海外ノ万国皆和親通好スル中ニ、神州ノミ孤立シテ好ヲ通ゼザル時ハ、諸国ノ兵ヲ一国ニテ敵ニ受ケ、国力モ堪ヘ難キニ至ルベシ。
時勢ヲ料(はか)ラズシテ、寛永以前ノ政令ヲモ考ヘズ、其以後ノ時変ヲモ察セズシテハ、明識トハ云難カルベシ。
 小壯ノ論ハ、義ニ当テハ国家ノ存亡ハ論ズルニ足ラズ、唯其(その)義ヲ行フベシナドヽ唱(となう)ルモノモアランカ、天下ハ天下ノ天下ニシテ一人ノ天下ニアラズ、然ルニ臣下ノ身トシテ、天下ヲ一己ノ私物ノ如ク軽々シク是ヲ一搏ニ抛(なげうた)ントスルハ、臣子ノ心ト云ベカラズ。
況(いわん)ヤ天朝ハ天照皇大神以来皇統正(ただし)クマシマシテ、万国ノ中ニ比倫スベキ国アルコトナシ。
然(しから)バ国家ノ重キコト、他ノ国々ト同日ノ論ニ非ズ。
然ルヲ一己ノ心ノママニ進退シテ、天下ノ存亡ヲ論ゼズナドト、口吻(こうふん)ニ任セテ軽率ニ論ズベケンヤ。
民命ヲ論ゼズナドイフコトモ、大義ニ当(あたり)テハサルコトナキニモ非ズ。
当今ノ世モ、戦フベキ時ニ臨(のぞみ)テハ戦フテ当然ナレドモ、容易ニ戦ヲ好ムベキ時ニ非ルコト前ニ論ズルガ如シ。
戦フベキトキニ非シテ強(しい)テ戦テ人ヲ殺ントスルハ、不仁モ亦甚シ。
海内ノ百姓(ひゃくせい)皆升平ノ徳沢ヲ蒙リ、其生ヲ安(やすん)ジテ世ヲ渡ルハ、天下ノ至慶ナリ。
然(しかる)ヲ今、軽易ニ事ヲ生ジテコレヲ兵火ニ苦マシメントスルハ何ノ心ゾヤ。
今万民下ニ安堵シ、上ニハ幕府ノ廟議、富国強兵ノ政、大果断アリテ、天下ノ耳目一新ス。
コレヨリ富強ノ国トナリテ、神州ノ武威海外ニ輝(かがやか)ンコト、伏(ふし)テ庶幾(こいねが)フ所ナリ。九天ノ上ニハ聖天子好生ノ盛徳マシマセバ、必(かならず)仁暴ノ二ツヲ明察マシマシテ、万民ヲシテ兵燹(へいせん)ヲ免(まぬかれ)シメ、仁寿(じんじゅ)ノ域ニ※(路-各+齊)(のぼ)セ給ンカト、東陬(とうすう)ニ在トイヘドモ窃(ひそか)ニ瞻仰(せんぎょう)シ奉ルナリ。
 或人ノ一説ニ、客気ノ少年中ニハ、鸞輿(らんよ)ヲ大坂ニ移シ奉ントイフモノアリト聞及ブ。
大坂ハ浜海ノ地ナレバ、外虜海岸ヨリ直ニ行宮(あんぐう)ニ犯シ逼(せまら)ンモ測リ難ク、甚ダ危キ事ナレバ、※(手偏+晉)紳(しんしん)諸公モ、カクノ如キ疎率(そそつ)迂闊ナル拙謀ニハ必(かならず)従ハルベカラズ。
サレドモ筆ノ序(ついで)ニ、聞(きけ)ルマヽニコヽニ附論スルナリ。
 右ニ論ズル所モ、必シモ外国ヲ拒絶スベカラズトイフニアラズ。
万国ノ形勢ヲ審察シテ、拒絶シテ宜シキニ当ル時アラバ拒絶スベシ。
必シモ戦フベカラズトイフニアラズ。
孫子始計ノ如ク、廟算シテ彼ヲ知リ我ヲ知リ、我ニ算ヲ得ルコト多クバ戦フベシ。
算ナクシテ妄(みだり)ニ戦フベカラズ。
孔子モ、暴虎馮河(ぼうこひょうが)シテ死テ悔ナカランモノニハ与(くみ)シ給ハズ、事ニ臨テ懼レ、謀ヲ好(このみ)テ成サンモノニ与シ給フ。
サレバ万事ニ就テ、其難キヲ知テ後ニ行フベシ。
軽易無謀ニシテ暴虎馮河センハ、実ニ危キ事ニシテ、天下ノ大事ヲ敗(やぶ)ルニ至ルベシ。

時務策畢

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