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真実の創氏改名とは

2012.02.11(10:46)

創氏改名の出発点は、 総督府令第124号「朝鮮人ノ姓名改称ニ関スル件」である。
1909年、大韓帝国は日本の指導に基づき民籍法を制定し、近代的戸籍の整備を開始した。
女性については父姓と続柄・年齢などだけを記載するなど、朝鮮の慣習と衝突しないようにしたため、整備が終了したのは併合直前の1910年4月であった。
この時一部の朝鮮人が日本内地風の姓名で届けを出すなどして混乱が生じたとして、当時の朝鮮総督府は1911年11月1日、総督府令第124号「朝鮮人ノ姓名改称ニ関スル件」などの通牒によって、「内地人ニ紛ハシキ姓名」を許可しないこととし、出生届などでも内地風の名前を届けることに厳しい制限をつけた。

併合当時、殆どの朝鮮人には名前が無く、日本式の戸籍を作成する為、自ら好きな名前(日本名以外)を役所に届けるよう通達を出したのが、一般の朝鮮人が、300年ぶり(300年前の朝鮮人は、秀吉の朝鮮出兵に便乗し、当時身分を管理していた掌隷院に火を付け、自らの解放を祝ったのですが、その結果、以後名無しで300年過ごす事となった)に名前が与えられることとなった(ですから、奪ったのではなく、与えたが正しい解釈)のである。

1939年(昭和14年)11月10日朝鮮総督府制令第19号で、朝鮮民事令11条の第三次改正が発布され、翌年2月に施行された。その内容は、

(1) 氏に関する規定

(2) 裁判上の離婚

(3) 婿養子縁組みの無効・取り消し

(4) 異姓養子を認める

この改正において、創氏改名に当たる改正は、(1)氏に関する規定である。
では、規定とはどの様なものか
 朝鮮人の姓は、周知のように結婚しようが何しようが変わることがないというのが古来の慣習である。
それは朝鮮の「姓」が父系の血縁関係を示すもので、「姓」が違うということはその関係がないことを意味し、朝鮮の一般民の間で日常的に行われていた近親相姦を予防する為に結婚しても「姓」を変えることなく生活していた。
日本の統治が始まると近親相姦は禁止され、奴隷階層の解放が行われ、同時にそれまで与えられてなかった名前を300年ぶりに名乗ることを許されたのである。
これが所謂、創氏なのです。
ですから朝鮮人の結婚とは、別姓の相手としか婚姻関係が成立しないのです。
この朝鮮の異常とも言える家系を重視する必要が朝鮮にはあったのかが推測できる。
朝鮮人にとって、永きに渡り近親相姦を続け、遺伝子的に異常な国民が多く存在している事実と、その危険性からの回避手段としての同姓での結婚が出来ない事が、常識として継承されてきたのです。
それを示す朝鮮伝統芸が「病身舞」で、朝鮮人の歴史を奇形民族であることを忘れない為に継承され、同時に近親相姦の危険性を今も伝えているのです。
ですから朝鮮人の家庭では、女性は姓を結婚後も変えず、嫁ぎ先とは血縁がないことを周辺住民にも認知(朝鮮人の差別意識は一般的に存在し、その対象にならない様、血縁関係が無いことを周知させる為に必要だった)させていた、また自分の出自の父系一族とのそれを否定できないから、「姓」を変えることはなかったのです。
従って例えば金さんという家があったとしたら、祖母は朴さん、母は李さん、兄嫁は鄭さん、妻は張さん、長男の嫁は呉さん、次男の嫁は崔さん‥‥というような具合に名前が違ってくる。
 そこで、一つの家の中で法律上の名前の違う人が存在するというのを、日本風に家族名として統一した「氏」を決めて、そしてその「氏」を届け出るように指示したのが創氏改名令の趣旨なのです。
つまり、「姓」と「氏」を朝鮮人は有していたのであって、姓を奪ったのではないという事を理解して下さい。
朝鮮にとっての「姓」とは、奇形児の出生を回避する為、必要不可欠だったのです。
この様に、届け出るということは、例えばある金さんの家では「金川」と創氏を届け出て、家族全員(男性や子供はもちろん嫁に来た女性も)が「金川氏」となった。
これを「設定創氏」という。
氏の下の「名」の変更は任意だったようで、多くの場合改名していない。
ところが届け出なかった人たちも存在している。
届け出たのは322万戸(約80%)とあるので、創氏を届け出なかったのは全朝鮮人の約20%ということになる。
しかし創氏は法律で定められていることなので、すべての朝鮮人は創氏をせねばならない。
この場合は、その家の家長の姓が例えば金さんなら、その家族全員を「金」と創氏させたのである。
これを「法定創氏」というが、これによって金さんの家では嫁に来た女性もすべて「金氏」になったということになる。
 つまり1940年の創氏改名令の施行時に創氏を届け出なかった人は、家長の先祖伝来の男系の姓である金とか李とかの朝鮮名をそのまま継承し、それを「氏」としたのです。

創氏は家族名としての「氏」を新たに設けることであり、先祖伝来の「姓」には変更はなかった。
朝鮮戸籍には創氏改名が書き加えられたのみで、「姓」は抹消されずに本貫欄に残った。
本貫欄は日本戸籍にはなく、朝鮮戸籍独特のものでした。
創氏改名後はこの欄に本貫とともに「姓」が記載されることになったのである。
よって、日本が朝鮮の「姓」を抹殺したという説は明らかに誤りである。

創氏改名後のあの戦時中でも、朝鮮人の少なからずが朝鮮名を維持してきた方達の存在である。
創氏改名を届け出て「日本式」の名前になったと言うが、なぜこれが「日本名」なのか、上記のように、1911年11月1日、総督府令第124号「朝鮮人ノ姓名改称ニ関スル件」などの通牒によって、「内地人ニ紛ハシキ姓名」を許可しないとされていた為、出生届などでも内地風の名前を届けることに厳しい制限が成されていたが、日本名に改名するに至った切っ掛けは、満州開拓民の朝鮮人がシナ人によって多数の被害を受け(実際には日本人のへの被害件数の方が多いが、日本人は当時、一等国民で優遇されていた為、日本名を朝鮮人は付けたがっていたのである)、それを回避する為に日本名の使用を求めていたが、当初はこれに難色を示していた日本国政府でしたが、度重なる被害報告に人道的観点から、開拓民のみ日本名の使用を許可(裁判所で必要性が確認されれば許可された)したことが日本式名使用の始まりであり、当初は裁判所の許可が必要でしたが、被害回避人道的救済処置と申請件数が多数申請され、さらに半島在住の朝鮮人も日本名使用を朝鮮総督府に求め出し、開拓民の裁判での許可には申請してから徐々に時を要するようになり、日本名に改名したい朝鮮人に日本名を与える法令を改めて定め、これに対処したのが朝鮮人が日本名を使用した経緯である。
 創氏改名が「朝鮮人の固有の姓を奪い、日本名を強制した」というのは、根拠のない俗説で、朝鮮人からの要請による改名であって人道的観点からの法的処置であったことがかれらの経緯からも理解できるだろう。

 これら創氏改名の経緯と当時の朝鮮人に朝鮮名を名乗る方達が存在していたことから、日本名への創氏改名は強制ではなく、申告制で自らの意思で日本名を選択したものだという事が明らかだということである。






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  1. 真実の創氏改名とは(02/11)